製針技術
広島針の歴史
広島針は300~400年前に長崎から唐針づくりの技術が伝来したことから始まります。広島城下で作られた針は「南京正伝針」と呼ばれていました。
広島県山県郡の「たたら製鉄」によって大量の鉄が製造され、太田川を通って運ばれました。鉄から針金、針金から針が作られていました。
広島には「安芸十利」という言葉があります。これは広島で利益を生んでいた10種の鉄製品のことです。この中には針が含まれており、針が古くから地場産業として育まれていたことが分かります。
広島には「安芸十利」という言葉があります。これは広島で利益を生んでいた10種の鉄製品のことです。この中には針が含まれており、針が古くから地場産業として育まれていたことが分かります。
広島の針産業は刻々と変化する世界情勢の中、ドイツやイギリスの競合相手と争いながら、製針技術を発展させ生き残り、広島針ブランドを確立させました。
広島針とは広島県針工業協同組合が所有する商標になります。
広島針とは広島県針工業協同組合が所有する商標になります。
明光堂と針について
明光堂は1949年、輸出100%の針会社として創業されました。プッシュピン、虫ピン、シャツピン、待針などを北米をはじめアジア、ヨーロッパ、中南米など世界各国の市場へ積極的に輸出してきました。その後、日本国内にもそのシェアを広げてきました。
日本で製造される針の耐久力は、世界一とされています。その中でも広島針は最大のシェアを有し、高い技術力を保持しています。